1973-09-13 第71回国会 参議院 文教委員会 第27号
体育専門学校であったり、東京高等師範であったり、東京文理科大学であったり、それぞれの歴史がございまして、今日、国立大学の学部は、それぞれ戦前からの歴史をしょった一つの学校として運営されていた面もございます。
体育専門学校であったり、東京高等師範であったり、東京文理科大学であったり、それぞれの歴史がございまして、今日、国立大学の学部は、それぞれ戦前からの歴史をしょった一つの学校として運営されていた面もございます。
○木田政府委員 東京教育大学は東京高等師範学校、東京文理科大学、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校が昭和二十四年五月に東京教育大学として統合新設になったものでございます。
高等師範学校、農業専門学校、体育専門学校、それから音楽、美術に付置せられた師範科というのがある。これが四年制の教員養成機関であったのです。二つ目には、三年制の教員養成機関があった。これは敗戦直前ですけれども、師範学校なり青年師範学校がこの中に入ると思うのです。
ところがそのとき私は実にけしからぬと思ったのは、政務次官が答弁されて、それは癖だ、習慣だ、私は体育専門学校でずいぶんきびしくされて、一日一ぺんしか用便をさせてもらえなかった、これでも私は耐えてきたのだ、だから習慣だから差しつかえないということを言っていらっしゃった。そういう考え方で私は厚生行政をやられては困る。一体どうなのですか。病人は時間割り以外に便をしないで済むとお考えですか。
医療につきましては、私のようなしろうとが申し上げるまでもなく御専門家であられますところから申しましても、御議論をそういう点に御集約願って、それによって万一不幸なことが起りますれば、厚生省には生活保護法その他いろいろ救済をいたします措置のできる法律がたくさんございますし、先ほど医務局長が取り消された問題でございますが、私は全くしろうとの立場から私の体験を通して御参考に申し上げますれば、私は履歴が体育専門学校出
それからその次の事案は、四六二号、土地購入に当り処置当を得ないもの——これは東京にございます東京体育専門学校で、運動場の拡張用地といたしまして、民有地を第三者の借地権が設定されたまま購入した。それからなおその購入いたしました土地に、建物がそのまま存在して、運動場としては利用できないような状態にあつた。
それから東京体育専門学校で、この土地を買い入れるについての責任者は、学校長ですか。何かそういう初めから立ちのきのできぬようなものを買い入れるについては、地主側と何らかの利害の一致があり、そうしてそこに刑法上の忌まわしい問題も発生するようなからくりがあつたのではなかろうかと推測されますが、そういう方面はどうなつておりますか。
これは従来の東京高等師範の体育学科、文理科大学にありました教育学科、その他の先生方からピツク・アツプして、従来ありました東京体育専門学校——これも国立でありますが、その先生が広く社会の一般先生方を集めまして組織した東京教育大学の中の体育学部というものができ上りまして、せつかく充実をしているところでございます。それから東京大学、前の東京帝国大学、これは教育学部がやつと独立いたしました。
○日高政府委員 実は今お話のあつた東京文理科大学、東京高等師範学校、体育専門学校、農業教育専門学校を一つにまとめまして、文部省の初めの案といたしましては、東京教育大学という名称で進みたいという計画を持つておつたのでありまして、昨年の秋の終りごろまでは大体それで進んで参つたのでありますが、教育大学という言葉にまつわつておりますところのいろいろの連想及び感情から、学校の内部に意見の齟齬が起きまして、今申
ご案内の通り、文教大学というのは、文理大と東京高等師範、体育専門学校、農業教育専門学校、これらを合併して一つの大学ができるのでありますが、その学校の名前について、実は現在の文部省案は文教大学、かようになつておるのであります。ところがこの校名については、文理大を除く他の三つの学校はことごとく反対でありまして、これを教育大学という名称にしたいというのでございます。